【Jの五輪代表候補】川崎MF田中碧、はじまりはいつも負けだった…幼少期「下手」磨いた「止める蹴る」

スポーツ報知
昨年12月、E-1選手権の香港戦で軽快な動きを見せる川崎・田中

 Jリーグは21日に28年目のシーズンが開幕する。スポーツ報知では東京五輪代表候補の注目選手をピックアップし、一芸に秀でた「武器」を解説。第1回は昨季のベストヤングプレーヤーを受賞した川崎のMF田中碧(21)。1月のU―23アジア選手権で主軸を担ったボランチは「止める、蹴る」の技術の高さとボール奪取力でチームを引っ張る。

 しゃく熱のタイで戦ったU―23アジア選手権は、田中にとって不完全燃焼の大会となった。1次リーグ敗退決定後の第3戦・カタール戦(1△1)で相手へのタックルがVAR判定で一発退場。「勝てなかったのがすごい悔しかった。もっと何かできたと思う」。無力さだけが残った。

 プロ3年目の昨季は激動の1年だった。クラブで公式戦30試合に出場。6月にU―22日本代表に初選出され、12月に東アジアE―1選手権でA代表デビューを飾った。「前年から考えたら信じられない。でも、全ての能力をバージョンアップして、他を圧倒する選手にならないといけない」

 エリートではない。むしろ「下手だった」。5歳でサッカーを始め、ACミランなどで活躍したウクライナ代表シェフチェンコに憧れてFWで得点を量産したが、小1でリフティングの最高記録は16回。悔しくてオフの日も公園で3~4時間、1人で練習を重ね、小2で100回以上に上達。壁を相手にボールを蹴り続け「テレビで見たリバプールの選手を空想で敵に見立てて、1人で試合をしていた」という。

 「僕はいつも負けからスタートする。だからこそ成長できる」。小3で川崎の下部組織に入ったが、2学年上の三好康児(アントワープ)のプレーに「衝撃的にうまかった」とレベルの差を痛感した。それでも「シンプルに誰にも負けたくない気持ちが原動力」と現在も居残り練習でクラブハウスを出るのはいつも最後。尻や背中を中心に筋トレに励み、フィジカルも強さを増した。

 「ゲームにずっと関われる」と小4でボランチに転向し、ボールを奪う楽しさに目覚めた。下部組織で高めた「止める、蹴る」の技術は、プロ入り後も先輩の中村憲剛、大島僚太ら国内屈指の“お手本”から学び、磨きをかけた。中村からは「将来が最も楽しみな若手」と評される。2年ぶりのリーグ制覇へ、チームの中核として今季に臨む。

 「東京五輪は出たいけど、夢でも何でもない。世界で戦い、勝ちたいだけ」と田中。公園でがむしゃらに培った足元の技術を武器に、愚直に五輪を見据える。(星野 浩司)

 ◆田中 碧(たなか・あお)1998年9月10日、川崎市生まれ。21歳。川崎の下部組織を経て、2017年に昇格。19年6月、トゥーロン国際大会でU―22日本代表に初選出。同10月のU―22ブラジル代表との親善試合(3〇2)で2得点。Jリーグのベストヤングプレーヤーに選出され、12月の東アジアE―1選手権でA代表初選出。J1通算28試合2得点。利き足は右。177センチ、69キロ。

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