28歳にしてプロサッカー選手になる夢をかなえた男がいる。23年にオーストラリア5部リーグのウエストゲート・シンジェリッチでプレーした西村恒亮さん(29)。オーストラリアサッカー界のリアルな給料事情などを赤裸々に明かし、異色キャリアについて語った。【取材・構成=佐藤成】

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千葉県出身の西村さんは関西の名門・同志社大までサッカーを続けたが、ケガの影響もあり、金融業界に就職した。外資金融機関へ転職するなど5年半にわたって会社員を務めていたが、22年9月に一念発起。プロサッカー選手を目指して渡欧した。

「今しかチャレンジできないという、それだけで決意しました」

幼い頃からサッカーを続ける中で、プロサッカー選手という職業は憧れだった。しかし、大学のトップチームでスタイルが合わずに全く試合には絡めなかった。Bチームなどで構成されるIリーグが主戦場。プロになるための勝負の年といえる3年時に右膝半月板を負傷して、プロへの道は断念した。周りと同じように就職活動し、卒業後はサラリーマンをしながら、当時社会人東京都1部リーグに所属していた東芝府中のサッカー部「TFSC」でプレーした。「プロでやっている人に変な嫉妬心も持ちつつ、ビジネスで活躍したいと思っていました」と趣味程度でのサッカーを楽しんでいた。

転機は、転職先で多くのアスリートと接したことだった。外資金融機関では日本代表選手らを担当。「いろんなアスリートと出会って、いろんな話を聞く中で、自分がこのままでいいのか」と考えるようになったという。当時は、収入面は申し分なかった。それでも「社会人になって、ビジネスで頑張りたいけど、スポーツ界でやり残したことがある」とサッカーへの未練を断ち切れず、会社を辞めて、挑戦を決めた。

今、オーストラリアのサッカー界が熱い。ジュビロ磐田などで活躍したDF大井健太郎(39)、浦和レッズなどに所属したMFエスクデロ競飛王(35)らがプレーする。実体験を西村さんはこう語る。

「僕がプレーしていたビクトリア州のリーグでは、ビザプレーヤーと呼ばれる外国人枠があって、各チーム3人プラス1アジア人という感じです。オーストラリア5部に当たるチームでしたが、だいたい練習は週3回で土日に試合。1試合当たり5~10万円もらえます。多い選手で15万円。練習は夜に行うので、日中はバイトができます。僕の場合は、バイトの方で月に35~40万円、サッカーで20~30万円の収入でした」。

契約によって多少の差はあるが、西村さんの場合、勝利で7万円、引き分けで6・5万円、負けは6万円が支払われた。ベンチの時は、それぞれの半額支給だったという。エージェントに頼るのではなく、自らフェイスブックでクラブにメッセージを送ったり、紹介してもらったりして練習参加し、契約を勝ち取った。「日本にはたくさんいい選手がいるけど、Jリーグのチームに入るのはなかなか難しい。世間的なイメージなどもあって、サッカーを諦めてしまう選手が多い。環境を知らないと挑戦もできないので、そういう存在になれれば」。グランドやクラブハウスも整備されており、環境は抜群に良かった。

そんな自身の選択を「120%よかったです」と振り返る。「自分がやってみないとアスリートとしてお金をもらう価値、責任はわからない。英語も習得できますし、多国籍なカルチャーがあるので、いろいろなことが学べました」。夢を追ったことが、自身のキャリア形成の上でもプラスに働いたと感じている。

西村さんは、今オフにオーストラリア3部のベントレー・グリーンズからオファーを受けたが、膝の状態が悪化し、第一線から退くことを決意した。「30歳になる年でしたし、プロとしてサッカーをやるという夢をかなえたので、もういいかなと」。現在は日本に帰国し、英語を生かして転職活動中だ。「いくらでもキャリアのやり直しはできる。目の前のことに真剣に取り組めば、またそっちで活躍できる」と力を込めた。

サッカー人生は十人十色。ヨーロッパで何億円も稼ぐトッププレーヤーもいれば、日本の地域リーグでプロ契約を結ぶ選手もいる。カテゴリー、国、地域は関係ない。どんな環境であっても、プロサッカー選手になる夢をかなえる人生があってもいい。今、どこかでくすぶっているあなた、オーストラリアで挑戦してみるのはいかが?

◆西村恒亮(にしむら・こうすけ) 1994年(平6)8月4日、千葉県生まれ。所属クラブはポカルスFC-八千代松陰高-同志社大-TFSC-ウエストゲート・シンジェリッチ。178センチ、75キロ。フィジカルを生かしたパワフルなプレーが持ち味。ポジションはDF。川崎フロンターレMFマルシーニョ、FWゴミスや横浜F・マリノスFWAロペスら多くの外国人Jリーガーが訪れるヘアーサロン「Amigo Hair Studio Yokohama」への出資も行っている。