「誰かのために何かを頑張る時の方が人間、力が出る」…そんな言葉が象徴する新日本プロレス新社長・棚橋弘至の魅力

スポーツ報知
新日本プロレスの新社長に就任し、会見でエアギターを披露した棚橋弘至(カメラ・中村 健吾)

 フォトセッションでカメラマンの「エアギターのポーズ、お願いします!」というリクエストに「はい、こうですか」と答える新社長―。今まで見たことがないトップ就任会見での光景が展開する中、世界一強く、カッコ良く、明るく、ノリのいい社長が誕生した。

 26日、東京・中野坂上の新日本プロレス本社で行われた棚橋弘至社長(47)の就任会見。

 23日の臨時株主総会・取締役会で経営体制の変更が決まり、3年2か月、社長を務めた大張高己氏が退任。現役選手のまま第11代社長に就任した「エース」はパンプアップされた体をダークグレーのスーツに包んで登場すると、「このたび社長に就任した棚橋弘至です。プロレスラー生活を送っていく中で新日本プロレスの社長になるのはいつしか夢となり目標となっていました。今回、その夢がかなって、とてもうれしく思っています」と笑顔を見せた。

 木谷高明オーナーから社長就任の打診を受けたのが11月だったとし、「選手と社長、同時にやってこそ逸材と思って」快諾したことを明かした愛称「100年に1人の逸材」。その上で「目標の一つは東京ドームを超満員にすること。選手の誉れでもあり、ファンの記憶にも残るのが超満員の東京ドームで花道を歩くことだとだと思う」と何度も東京ドームのメインイベンターとして花道を歩いた経験を踏まえ、きっぱり。

 さらに「地方でのタイトルマッチをどんどん増やしていく。地方が満員にならないと東京ドームも満員にならない。日本全体のファンの熱量が高まらないと東京ドームも満員にできない」と続けると、「あとはスポンサーとのパートナーシップの強化です。現役レスラー社長として日本一動き回る姿勢、そういう新しい社長の姿を模索していきたい」と宣言。

 「やりたことはいっぱいあるけど、社長として身につけていかないといけないことも多い。棚橋弘至、新日本プロレスをよろしくお願いします」と頭を下げた。

 そう、棚橋と言えば、2000年代、地方大会のたびに睡眠時間を削って常に現地に前乗り。地元ラジオ局などで懸命にプロモーションし、一時は倒産の危機にあった新日をV字回復に導いた功労者。だからこそ質疑応答になった途端、手を挙げて聞いていた。

 「社長になっても、文字通りトップセールスという形での前乗りプロモーションは続けるのか?」―。

 この質問にじっと、こちらを見て笑みを浮かべた棚橋は「新日の巡業にはついていきます。東京にいる時は出社して社長業もやっていきたいですし、プロモーションも先頭に立って、もう一度やっていきたいと思います」と即答。その上で「僕がやるのもそうですが、とても多い所属選手が次の大会の場に出向いてプロモーションをやっていくことで、僕1人でやっていた時代よりも何倍もの効果があると思います。そういった点も選手にお願いしていこうと思ってます」と、完全に経営者の顔になって答えてくれた。

 聞きたかったことは、もう一つ。この日の会見で木谷オーナーが口にした棚橋の経営者としての資質「苦労をいとわない。とにかく明るい。頭脳明晰。さらに人間力」に加え、私にはもう一つ、この10年間、リング内外での棚橋の振る舞いを目にする度に常に唯一無二の魅力として感じ続けてきたことがあった。

 それは1年前の単独インタビューの際にその口からこぼれ出た一つの言葉「自分のことよりも人のために何かをする時の方が力が出る」―。そこにこそ「エース」としての魅力の源があると思ったから聞いた。

 「ファンはとっくに気づいている棚橋さんの『自分のことよりファンのため、団体のため』という思いを今後、経営者として、どう生かしていくのか?」―

 この問いかけに「レスラー生活の中でいくつかの気づきがあったんですけど、試合中に力が出る瞬間というのは最終的に自分が勝ちたいとか、目立ちたいとか、カッコ良く見られたいとかのエネルギーよりもファンの方の応援に応えたい、見てもらって楽しんでもらいたいという…。誰かのために何かを頑張る時の方が人間、力が出るっていう考えがあります」―。

 そう明かした棚橋は「だから、これからの社長業もファンの皆さんのために、新日本のためにという思いでやっていきます」と決意表明した。

 その瞬間、私は「やはり、この人は選ばれるべくして、新日のトップになったんだ」―。心底、そう思った。

 もちろん、棚橋が口にした第一の目標「東京ドームを超満員」はアフターコロナの今、そう簡単に達成できることではない。91年12月に6万1500人を集めたドル箱の東京ドーム大会にしろ、今年の1・4の動員は2万6085人。一部の熱狂的なファンを除くと、プロレス人口は減少し続けているのが事実だ。

 来年でレスラーデビュー25周年。一時は引退の危機もあった右ひざ変形性関節症など、その体が満身創痍なのもまた、ファンは知っている。

 選手兼任社長は初代から3代目社長を務めた団体創始者のアントニオ猪木氏、坂口征二氏、藤波辰爾に続く史上4人目。藤波が退任した04年6月以来、19年半ぶり。この日も当然、「選手と経営トップの両立は大変では?」という質問が飛んだ。

 この問いかけに対し、「現役生活について考えているところはあります」と冷静に口にした後、「僕はプロレスっていうジャンルを社長を殴れる唯一の競技だと思っていて。『社長だと!?』と集中的に攻撃されるかも知れないけど、それでも戦っていきます。こっちも『社長だぞ!』じゃなく、プロレスという競技で勝負したい」と明るく続け、笑いを誘った。

 そう、決して深刻にならない天性のオーラこそが「新日のエース」であり、「太陽の天才児」の真骨頂。この日の会見、フォトセッションでも集まった80人以上の取材陣の視線を釘付けにし続けた天性の明るさこそが最大の魅力。だからこそ、日本最強、最大のプロレス団体・新日は、この「太陽」のように明るい男で勝負に出た―。

 カメラマンの要求に応じながら次々とポーズを取り、「こんな会見でいいのかな?」とつぶやいた、その底抜けに明るい笑顔を見ながら、私はそう確信した。(記者コラム・中村 健吾)

 ◆棚橋弘至(たなはし・ひろし) 1976年11月13日、岐阜県大垣市生まれ。47歳。立命館大法学部時代、アマチュアレスリング、ウエイトトレーニングに励み99年、3度目の挑戦で入門テストを突破し、新日本プロレス入門。同年10月、真壁伸也(現刀義)戦でデビュー。03年、初代IWGP U―30無差別級王者となり11度防衛。06年7月、IWGPヘビー王座決定トーナメントを制し同王座初戴冠。11年~12年の第56代王者時代には連続最多防衛記(当時)のV11を達成。G1クライマックスは07、15、18年の3回制覇。ニュージャパン杯は05、08年の2回制覇。プロレス大賞MVPは09、11年、14年、18年と4回受賞。181センチ、101キロ。愛称は「新日のエース」、「100年に1人の逸材」。

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