先月、シーズン終了とともにウエスカ退団を発表した岡崎慎司。2019-2020シーズンからスペイン2部のウエスカで活躍し、1年目でチーム得点王となる12ゴールを決め、1部昇格の立役者になった。
意気揚々と臨んだスペイン1部リーグ。強豪ひしめく世界最高峰のリーグで、開幕からスタメン出場を果たし、チームは順調な滑り出しを見せたかに思われた。
しかしシーズンを終わってみれば、ウエスカは7勝13分け18敗、リーグ18位に沈み、1年で1部の舞台から姿を消すことに。岡崎自身も25試合出場1得点と屈辱の結果になってしまった。
清水エスパルスからドイツのシュツットガルトに移籍した2011年から10年が経過。ドイツ、イングランド、スペインと戦ってきた岡崎は、ウエスカでの挑戦をどのようにとらえているのだろうか。話を聞いた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/802294459d969017f8933373ff4c941f253b635e
意気揚々と臨んだスペイン1部リーグ。強豪ひしめく世界最高峰のリーグで、開幕からスタメン出場を果たし、チームは順調な滑り出しを見せたかに思われた。
しかしシーズンを終わってみれば、ウエスカは7勝13分け18敗、リーグ18位に沈み、1年で1部の舞台から姿を消すことに。岡崎自身も25試合出場1得点と屈辱の結果になってしまった。
清水エスパルスからドイツのシュツットガルトに移籍した2011年から10年が経過。ドイツ、イングランド、スペインと戦ってきた岡崎は、ウエスカでの挑戦をどのようにとらえているのだろうか。話を聞いた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/802294459d969017f8933373ff4c941f253b635e
チームのためにと思ってやっていたことが自分に返ってくると思ってやっていたんですが、今回はうまく回らなかった
―ウエスカの降格が決定し、退団も発表されましたが、今、どのような心境でしょうか。
僕自身、降格は初めての経験だったので、ただただファンの人たちには申し訳ない気持ちです。これまでは無観客だったので、ファンのみんなに1部でやっているところを見せたかったんですが、それを叶えられなかった自責の念もありますし、残念な気持ちでいっぱいですね。
―開幕から強豪相手でもある程度しっかりと戦えていましたし、岡崎選手自身も好調でしたが......。
プレシーズンからコンディションがよかったし、自分も開幕から試合に出場できていました。2部に比べてチャンスは少なかったんですが、やれる自信は持てました。スペイン1部でもすごく難しいという思いはなかったですね。
ただ5節でケガをしてしまったので、それがシーズンを振り返ると最初の分岐点でしたし、後悔が残ります。体が丈夫なのも取り柄でしたが、連戦での移動などもあった中で、自分の体が疲れているのかどうかもわからず、戦う準備をおろそかにしていた部分がありました。この年齢(現在35歳)になって、こんな当たり前のことを改めて考えなくてはいけないのは情けなかったですね。
―ご自身にとって初めての肉離れで、復帰までに約1カ月半を要しましたが、その間に何か変化はありましたか。
最初は2週間程度で復帰できると思っていましたが、想定よりも長引いてしまいました。ケガをした直後は「早く復帰してほしい」という周囲の声もありましたが、復帰が遅くなるにつれ、僕以外の選手でチームを構成しなくてはいけなくなりました。
その間に少しずつラファ・ミル(ラファエル・ミル・ビセンテ)が結果を出してきて、10月途中からサンドロ(サンドロ・ラミレス)も加入してきて、復帰した時には3番手のFWになってしまいました。だからチームに自分の居場所を作らなくてはいけない状況でした。
―それでも復帰後、12月のグラナダ戦(12節)では待望の先制点が生まれました。結果を出したことで翌13節から16節までは先発出場を果たしています。すぐに居場所を見つけた感じでしたが......。
初ゴールを決めて、さらに次の試合(アラベス戦)で先発していい感じで勝利を収めることができました。ただ先発したその4試合でチャンスをものにできなかったことも後悔しています。そこでゴールを決めて自分自身が波に乗れていたら、全然違ったシーズンになっていたと思います。
―チームはなかなか波に乗れず、1月途中でミチェル監督を解任。パチェタ監督が就任しました。どんな変化がありましたか。
ミチェル監督のときには、みんなボールを失いたくない気持ちがあって、裏を狙ってボールを蹴るシーンが少なかったんです。だから僕がほしいところに、なかなかボールが来ませんでした。
パチェタ監督はよりシンプルに縦に行くサッカーでした。僕にとってはゴールをとることにより集中できるようになるので、期待感のほうが大きかったですね。
―監督交代後、20節から4試合連続して先発し1勝1分け2敗。このあたりの戦い方はどうでしたか。
ビジャレアルに引き分け、レアル・マドリード、セビージャに負けましたが、正直に言うと、相手が強かったというのはあります。負けた2試合とも1点差でしたから、点数的には善戦したと思います。ただ結果を残せなかったのは、僕が何もできなかったというよりは、チームとしてボールを前に運べなかったからですね。
その戦いの中でこう思ったんです。強いチームを相手にした時に、攻撃的な選手の中で、誰かが守備に回らなくてはいけない。ラファ・ミルは点を取る役割が明確にあったので、そうしたら自分が犠牲になってやや守備的になるしかないのかと......。
点は取りたいと思っていましたが、チームの勝利のためによかれと思って献身的なプレーをしたんです。レスターのときのようなプレーイメージですね。中盤でも頑張ってハードワークして、チームの状態がよくなってきた先に自分もゴールを取れたらいいなと。そう考えてしまったことが、最も大きな後悔ですね。
セビージャ戦に負けてから、自分の立ち位置が変わってしまいました。監督は、そのプレーに満足していなくて、他の選手を起用しはじめました。そこからはサブに回るようになり、さらに試合に出場することもできなくなってしまいました。
自分がやりたいFWとしての仕事、もっと前目のポジションにいてゴールを狙うこと、それで出られなくなったら後悔はしていなかったと思います。いつも「自分のために、チームのために」と考えていて、チームのためにと思ってやっていたことが自分に返ってくると思ってやっていたんですが、今回はうまく回らなかったですね。
―その後はどんな気持ちで戦いを見つめていたのでしょうか。
僕はチーム内での自分の立ち位置を、敏感に感じ取ることができたので、そこからシーズン終了までの3カ月間、出場する機会はないんだろうなと思いました。
またパチェタ監督は、主力組とそれ以外を明確に区別していました。「なんだよそれ」という苦々しい気持ちもありましたが、そんな立場の選手は他にもいたので、やるしかないと。そこでふてくされてしまう選手は負けだと思っているので。
それでも最後には少なくてもチャンスは来ると思って、残りの10分間でも結果を出そうと思っていました。その後何試合か出場しましたが、そこできっちり結果を残していたら、結末はまた違ったものになっていたかもしれないですね。
―スペイン1部でのシーズン、総括するとどんな思いがありますか。
僕はシーズンを通して活躍することを、自分の評価基準においています。その意味で、ケガをしてしまったこと、チャンスのあった数試合で決められなかったこと、そしてチームのためにと思って自分のプレーを変化させてしまったこと、この3つを後悔しています。これまで後悔をするような選択をしたことはないんですが、この3つは大きな反省点でした。
僕はもう、「来年に頑張ろう」とか、「いい経験になっている」とか、そんなことを言っていられない年齢です。結局1年1年の勝負。多くの経験をしてきたはずなのに、ミスを犯してしまった。自分にとってはより重い罪ですね。
僕自身、降格は初めての経験だったので、ただただファンの人たちには申し訳ない気持ちです。これまでは無観客だったので、ファンのみんなに1部でやっているところを見せたかったんですが、それを叶えられなかった自責の念もありますし、残念な気持ちでいっぱいですね。
―開幕から強豪相手でもある程度しっかりと戦えていましたし、岡崎選手自身も好調でしたが......。
プレシーズンからコンディションがよかったし、自分も開幕から試合に出場できていました。2部に比べてチャンスは少なかったんですが、やれる自信は持てました。スペイン1部でもすごく難しいという思いはなかったですね。
ただ5節でケガをしてしまったので、それがシーズンを振り返ると最初の分岐点でしたし、後悔が残ります。体が丈夫なのも取り柄でしたが、連戦での移動などもあった中で、自分の体が疲れているのかどうかもわからず、戦う準備をおろそかにしていた部分がありました。この年齢(現在35歳)になって、こんな当たり前のことを改めて考えなくてはいけないのは情けなかったですね。
―ご自身にとって初めての肉離れで、復帰までに約1カ月半を要しましたが、その間に何か変化はありましたか。
最初は2週間程度で復帰できると思っていましたが、想定よりも長引いてしまいました。ケガをした直後は「早く復帰してほしい」という周囲の声もありましたが、復帰が遅くなるにつれ、僕以外の選手でチームを構成しなくてはいけなくなりました。
その間に少しずつラファ・ミル(ラファエル・ミル・ビセンテ)が結果を出してきて、10月途中からサンドロ(サンドロ・ラミレス)も加入してきて、復帰した時には3番手のFWになってしまいました。だからチームに自分の居場所を作らなくてはいけない状況でした。
―それでも復帰後、12月のグラナダ戦(12節)では待望の先制点が生まれました。結果を出したことで翌13節から16節までは先発出場を果たしています。すぐに居場所を見つけた感じでしたが......。
初ゴールを決めて、さらに次の試合(アラベス戦)で先発していい感じで勝利を収めることができました。ただ先発したその4試合でチャンスをものにできなかったことも後悔しています。そこでゴールを決めて自分自身が波に乗れていたら、全然違ったシーズンになっていたと思います。
―チームはなかなか波に乗れず、1月途中でミチェル監督を解任。パチェタ監督が就任しました。どんな変化がありましたか。
ミチェル監督のときには、みんなボールを失いたくない気持ちがあって、裏を狙ってボールを蹴るシーンが少なかったんです。だから僕がほしいところに、なかなかボールが来ませんでした。
パチェタ監督はよりシンプルに縦に行くサッカーでした。僕にとってはゴールをとることにより集中できるようになるので、期待感のほうが大きかったですね。
―監督交代後、20節から4試合連続して先発し1勝1分け2敗。このあたりの戦い方はどうでしたか。
ビジャレアルに引き分け、レアル・マドリード、セビージャに負けましたが、正直に言うと、相手が強かったというのはあります。負けた2試合とも1点差でしたから、点数的には善戦したと思います。ただ結果を残せなかったのは、僕が何もできなかったというよりは、チームとしてボールを前に運べなかったからですね。
その戦いの中でこう思ったんです。強いチームを相手にした時に、攻撃的な選手の中で、誰かが守備に回らなくてはいけない。ラファ・ミルは点を取る役割が明確にあったので、そうしたら自分が犠牲になってやや守備的になるしかないのかと......。
点は取りたいと思っていましたが、チームの勝利のためによかれと思って献身的なプレーをしたんです。レスターのときのようなプレーイメージですね。中盤でも頑張ってハードワークして、チームの状態がよくなってきた先に自分もゴールを取れたらいいなと。そう考えてしまったことが、最も大きな後悔ですね。
セビージャ戦に負けてから、自分の立ち位置が変わってしまいました。監督は、そのプレーに満足していなくて、他の選手を起用しはじめました。そこからはサブに回るようになり、さらに試合に出場することもできなくなってしまいました。
自分がやりたいFWとしての仕事、もっと前目のポジションにいてゴールを狙うこと、それで出られなくなったら後悔はしていなかったと思います。いつも「自分のために、チームのために」と考えていて、チームのためにと思ってやっていたことが自分に返ってくると思ってやっていたんですが、今回はうまく回らなかったですね。
―その後はどんな気持ちで戦いを見つめていたのでしょうか。
僕はチーム内での自分の立ち位置を、敏感に感じ取ることができたので、そこからシーズン終了までの3カ月間、出場する機会はないんだろうなと思いました。
またパチェタ監督は、主力組とそれ以外を明確に区別していました。「なんだよそれ」という苦々しい気持ちもありましたが、そんな立場の選手は他にもいたので、やるしかないと。そこでふてくされてしまう選手は負けだと思っているので。
それでも最後には少なくてもチャンスは来ると思って、残りの10分間でも結果を出そうと思っていました。その後何試合か出場しましたが、そこできっちり結果を残していたら、結末はまた違ったものになっていたかもしれないですね。
―スペイン1部でのシーズン、総括するとどんな思いがありますか。
僕はシーズンを通して活躍することを、自分の評価基準においています。その意味で、ケガをしてしまったこと、チャンスのあった数試合で決められなかったこと、そしてチームのためにと思って自分のプレーを変化させてしまったこと、この3つを後悔しています。これまで後悔をするような選択をしたことはないんですが、この3つは大きな反省点でした。
僕はもう、「来年に頑張ろう」とか、「いい経験になっている」とか、そんなことを言っていられない年齢です。結局1年1年の勝負。多くの経験をしてきたはずなのに、ミスを犯してしまった。自分にとってはより重い罪ですね。