10年前、東日本大震災の被災地に身を置き今、トップアスリートして東京オリンピック(五輪)に備える、あの日の被災者たちがいる。当時、福島の東京電力女子サッカー部マリーゼに所属していた女子日本代表の鮫島彩(33=大宮アルディージャベントス)は今もなお、原発事故の影響が残る双葉郡に思いをはせながらプレーしている。【三須一紀】

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震災当日はキャンプ地の宮崎にいた。報道映像を見た鮫島は当時の感情を聞いても「10年たっても言語化できない」。それだけ衝撃的で非現実的な映像だった。「とにかく地域の皆さんが無事であってほしい」。そう祈りながらただ、ニュースを見るしかなかった。

「何年たっても福島に対する思いは変わらない。マリーゼのこと、双葉郡のこと。今でも何でも思い起こされる」。寮があった双葉町の海でチームメートと遊んだこと。南隣の富岡町で有名な「夜ノ森」の桜まつりに行き、浴衣を着て地元の人たちと盆踊りをした。地域に密着し幸せだった。

サッカー以外は東京電力福島第1原発の事務員として勤務。発災当時、現場トップとして原発事故対応に当たった吉田昌郎所長(享年58=13年7月に食道がんで死去)とは震災前、同じフロアで働き「元気でやっているか」などと、よく気に掛けてもらっていた。

11年7月にワールドカップ(W杯)ドイツ大会で初優勝。そこで実際に着用したユニホームを、命がけで原発事故の収束に当たった現場職員に感謝を込めて贈った。それは吉田所長らがいた免震重要棟に飾ってあったという。

マリーゼの本拠地だったJヴィレッジで3月25日、東京五輪の聖火リレーが始まる。W杯優勝の「なでしこジャパン」が記念すべき第1走者だ。鮫島は「自分の心の中で、すごく縁が深い場所。そこで大役を担えるのは感慨深い」と話す。

その4カ月先にある五輪本番。「コロナのリスクが最小限に抑えられるのであれば開催してほしい」と前置きした上で「その瞬間、どれだけ精いっぱいプレーするかが重要。勝つためだけに全てを注ぐ」と、復興五輪へ臨む覚悟を示した。

◆鮫島彩(さめしま・あや)1987年(昭62)6月16日、宇都宮市生まれ。常盤木学園高(宮城)卒業後にマリーゼに入団。震災で活動休止となり11年米プロリーグのボストン・ブレーカーズへ移籍。その後フランス1部モンペリエ、仙台、INAC神戸を経て今年、WEリーグ大宮に移籍。主な代表歴は11年W杯ドイツ大会優勝、12年ロンドン五輪銀メダル、15年W杯カナダ大会準優勝、19年W杯フランス大会出場。163センチ。血液型A。