ガンバ大阪の小野忠史社長(59)と、セレッソ大阪の森島寛晃社長(48)の夢の対談が実現した。ともにトップアスリートだった両社長。現役時代の経験は、クラブ経営にどう生かしているのか。【取材、構成=益子浩一】

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現役時代、ともにトップアスリートだった。森島社長は日本代表として活躍し、02年W杯日韓大会ではチュニジア戦でゴールを決め、日本を史上初の決勝トーナメントへ導いた。小野社長はPL学園時代、「逆転のPL」と呼ばれた78年夏の甲子園で優勝を経験。東洋大に進んでからもプロから視線を受けるほどの選手だった。選手時代の経験は今、どう生きているのか。

森島社長 選手目線は常に意識をしながら仕事をしています。経営者として勉強することは多いですけど、そこには常に選手時代の経験がある。選手時代はチーム、今は会社として、一丸となってやることは変わらない。常に謙虚さを持って、どういう状況でも変わらず、我慢強くやることを考えています。

小野社長 高校時代、60回の記念大会で優勝したんですが、背番号は15で貢献できなかった。でも目の前で繰り広げられた光景は準決勝の中京戦は0-4からサヨナラ、決勝の高知商戦は0-2から9回裏に3点を取って逆転優勝。試合が終わるまでは諦めないというのが私の信条。パナソニック時代には営業もしましたが、どの世界でも言えるのは1%でも可能性があるのなら諦めてはいけない。

今、スポーツ界だけでなく、世界がコロナに翻弄(ほんろう)され、進む道に迷いが生まれている。ただ、大阪の2大クラブを支えるこの2人には、迷いが見えない。なぜだろうか。

小野社長 常に甲子園は満員でした。高校3年のセンバツ、私はトンネル(エラー)を2回している。あの時の甲子園のどよめきは忘れません。5万人から漏れるため息。18歳であれを経験したら、失うものも、怖いものもありませんよ。

森島社長 サッカーなら満員のスタジアムでPK戦を外す感じですよね。でも僕は常に全力疾走で、最後まで体力が残っていなかったので途中交代が多くて。PK戦までピッチにいなかったんです。それでもW杯は、今でもいい経験として生きています。今年は新スタジアムとなるヨドコウ桜スタジアムの記念すべき年なんです。

小野社長 ガンバもクラブが誕生して30周年の記念すべき年です。

森島社長 力を合わせて大阪から世界へと、盛り上げていきましょう!

◆感染予防対策 対談は朝日新聞大阪本社・アサコムホールを利用。アクリル板で仕切りをつけ、新型コロナウイルス感染予防を徹底して実施しました。