なくなってわかった、甲子園の“正体”

スポーツ報知
昨夏の甲子園交流試合で国士舘(東京)と対戦した磐城(福島)

 なーんか、違うなあ。

 見慣れている光景のはずなのに、違和感が残った。昨年8月の甲子園交流試合。昨春のセンバツに出場が決まっていながら新型コロナウイルスの影響で大会が中止となり、プレー機会を失われた32校が甲子園球場で戦った。憧れの舞台に立った球児たちは試合後、喜びや楽しさを目を輝かせながら笑顔で語り、開催してくれたことへの感謝を口々に話していた。

 だが、その雄姿をスタンドで見られたのは控え部員や保護者ら限られた人たちだけで、応援もなし。「仲間の声が聞こえて落ち着いた」「打球音が響いてよかった」という声もあった一方で、19年夏の甲子園でもプレーしている球児からは「お客さんがいたほうが燃えたかも」「(19年夏とは)ちょっと違いました」という率直な意見もあった。もちろん、テレビやパソコンの画面越しでも球児たちの思いは十分伝わったと思う。けれど、ありがたいことに何年も連続で甲子園の取材に行かせていただいている身としては、一抹の寂しさを感じた。プレーする選手だけでなく、アルプス席から届く必死の応援、内野席からの温かい拍手、バットから響く快音に「おおっ!」とどよめき、一瞬の静寂の後に起こる大歓声。それらを含め、甲子園だったんだなあ。なくなったことで改めてわかったことだった。

 それと同時に感じたのは、ここにたどり着くまでの歩みも甲子園の一部なのかもしれない、ということ。春のセンバツも夏の甲子園も、基本的には各都道府県大会や各地区大会を勝ち上がってきた高校が出場してくる。おおげさに言えば、高校生活のほぼすべてを費やし、家族の思い、仲間の思い、倒してきたライバルの思い、流してきた汗や涙など、さまざまなことを力に変えながら勝ってきた高校が立てる場だ。甲子園交流試合もセンバツ出場資格のあった高校じゃないか、と言われるかもしれないが、それは一度は失われており、突然目の前に現れたプレゼントのようなもので、例年とは違う。甲子園を目指して戦い、積み重ねてきた思いの深さや強さが“魔物”を呼び、劇的な出来事を数多く引き起こす。そんな気さえしてきた。

 今年3月のセンバツは、有観客で開催する準備をしている。感染予防対策や入場者の上限もあり、以前のように満員にはできない。それでも多くの人々が球児たちと同じ空気を共有し、目の前のプレーにそれぞれの思いを集めていけば、これまでと変わらない雰囲気になるだろう。今から楽しみだ。(東北支局・有吉 広紀)

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