73歳・小倉智昭氏はネット上の言葉に疲れ果てたのか…「とくダネ!」終了で思い出す3年前の“炎上上等”宣言

スポーツ報知
2018年3月の「とくダネ!」リニューアル会見で伊藤利尋(右)、山崎夕貴(左)の両アナウンサーを従え、笑顔を見せた小倉智昭氏

 一つの時代がこの春、終わりを告げる―。昭和、平成、令和を駆け抜けてきた大物司会者が一線から退くことになった。

 フリーアナウンサーの小倉智昭氏(73)が13日、キャスターを務めるフジテレビ系情報番組「情報プレゼンター とくダネ!」(月~金曜・午前8時)に生出演。同番組が3月26日の放送をもって終了することを発表した。

 1999年4月の放送開始から22年の歴史に幕を下ろすことを自ら明かした小倉氏。CMに入る前に「3月で『とくダネ!』が終了しますっていう話を、ちょっとさせてもらいます」と話すと、CM明け、「今日のスポーツ紙で大変大きく取り上げていただいたんですが、『とくダネ!』が足かけ22年、3月いっぱいで終了することになりました。本当に皆さんには長い間、ごらんいただいたんですが…」と淡々と続けた。

 後継の番組について「次の世代の人にここのキャスターは譲って、新たなる番組がスタートしてもらうといいのかなあと思っているんですが…。最近、ちょっと切っ先が弱くなって、やや保身に走るきらいがありまして…」とカメラをまっすぐ見ながら話すと、「病気してから、ネット情報とか見るようになっちゃったんですね。そうすると、やっぱり(内容が)『老害じゃないか』とか『ボケてるんじゃないか』とか、キツいものなんですよ。で、お年寄りの政治家を見ると『ああ、やっぱり年取るとダメだな』なんて、少しずつ思うようになりました。そんなこともあって、私はそろそろいいのかなって」と本当に正直に続けた。

 最後に「ただ、残り(の放送期間)がありますから騒ぎます!」とスタジオを笑わせた小倉氏。

 番組の終了は12日に同局より発表され、小倉氏は「マイク生活50年のうち、『とくダネ!』の22年間は貴重な財産となりました。毎朝3時起きで、大病もありましたが、長く続けられたことに自分でも驚いています。視聴者、出演者、スタッフ、家族、友人、皆さんが私を支えてくれました」とコメントを発表。「まだ、全てをやり遂げてはいませんが、そろそろ次世代のキャスターに席を譲る時が来たようです」としていた。

 「東京五輪まではキャスターを続けたい」と常々話していた小倉氏だけに7月の五輪直前での番組終了には無念の思いがあるだろう。1964年の東京五輪開催時は高校2年生。聖火ランナーとして東京・府中市近辺を走った。今回も2度目の聖火ランナーとしての“出場”が決まっていた。誰よりも強い五輪への思い。2000年のシドニー五輪から取材を始め、08年の北京以降は夏季、冬季全ての会場で生中継してきた。予定通りなら昨年開催されていた東京五輪をラストに昨年9月での勇退も考えていたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で五輪は今年7月に延期に。“ラストラン”も半年間、先延ばしになったという裏事情もあった。

 振り返れば、小倉氏の歯に衣(きぬ)着せぬコメント力に牽引され、番組スタートから1年で同時間帯の民放トップに躍り出たのが「とくダネ!」という番組だった。16年7月にはフジ系「小川宏ショー」(65~82年)を抜き、「同一司会者による全国ネットのニュース情報番組」での放送回数最多記録を更新(フジ調べ)。15日で放送回数は5597回を数え、今なお記録を更新中。18年11月には膀胱(ぼうこう)がんによる膀胱全摘出手術を番組で公表。闘病中も電話出演して話題を呼ぶ一幕もあった。

 生放送の画面で見届けた小倉氏の事実上の“勇退宣言”。特に「ネット情報とか見るようになって、『老害じゃないか』とか『ボケてるんじゃないか』とか、キツいものが…」と言う言葉に私の記憶は一気に3年前の収録現場へと飛んでいた。

 18年3月22日、東京・台場のフジテレビの大型スタジオ。私の目の前には翌月から同番組のアシスタントに就任する伊藤利尋(48)、山崎夕貴(33)両アナウンサーを従えた小倉氏が立っていた。

 この年の4月に過去に例を見ない大規模改編に乗り出したフジが狙ったのが、「とくダネ!」の視聴率の底上げだった。「朝の情報番組戦争」と言われる激戦区の午前8時台は当時からテレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」が民放1位。一時低迷していた日本テレビ系「スッキリ」も17年10月から水卜麻美アナ(33)を加え、復調傾向にあった。

 16年まで民放1位を続けた「とくダネ!」も「スッキリ」と2、3位を争う日々に同局ではリニューアルを敢行。伊藤、山崎アナを加えての新体制発表会見が開かれたのだった。

 独協大卒業後に入社したテレビ東京でのアナウンサーデビューが1970年。当時で48年間、帯番組の顔を務めてきた小倉氏の存在感は抜群だった。

 当時はがん公表の8か月前。日焼けから黒光りしているようにも見えた同氏は「いろいろな(リニューアルの)声が聞こえてくるかなあと思っていた時に大変興味のある2人との(共演の)話が来た。暴走老人を止められるのは、この2人しかいないんで。今まで以上に突っ走ろうかなと思ってます」と両隣に従えた局アナ2人を見ながら、笑顔を見せた。

 「僕はフジテレビ(の入社試験)は7次試験で最後の6人まで残って落ちている。俺で決まりと思ったのに落とされた人としては、フジテレビのアナウンサー試験に受かった人にはリスペクトがあります」と話した通り、長年、タッグを組んできたフジへの思いを明かす場面もあった小倉氏。

 朝のワイドショー戦争について「羽鳥君(の番組の資料率)が良くて。最近、日テレとはウチが上になったりのいい勝負。ご存じのように母屋(フジテレビ)自体が不振な状態なんで、それもあると思いますし、私が19年もやっていると飽きられるということも当然あるでしょう。テレビ朝日の傾向を見ると、年配の方がかなりあちらに移ってしまった」と当時の視聴動向を冷静に分析。

 「それは(熟年の視聴者が)『同世代の司会者はもういいぞ』と思っていることもあると思ってるんです、正直。そのへんをこの2人がこれからカバーしてくれるんで、僕は余生というか」と、当時70歳という自身の年齢にも触れていた。

 私は、その場で「一歩、後ろに引かれる感じですか?」と聞いてしまったが、その瞬間、「僕の計算では小倉さんとは25年、年が離れていて。親父でもおかしくない年齢差なんですが…」と話していた伊藤アナが「そんなことないですよ!」と、すかさずフォロー。小倉氏自身も「そう言いながら、しゃしゃり出て、また、たたかれるという…」と話し、取材陣を爆笑させた。

 小倉氏の貴重な本音を聞ける機会だっただけに私は重ねて聞いた。

 「ネット全盛の今、小倉さんが『とくダネ!』の生放送中に話したことが、即座にネットニュースとなる。自分自身がニュースの発信者にもなっている現状をどう思いますか?」―。

 その時、こちらを見てニヤリと笑った小倉氏は「(ネットの)反応が速いのは知ってますし、番組が終わって、スタッフと『きっと火ついてるよね』とか『炎上してるよね』というと、『炎上してま~す』って(と話している)」と舞台裏を明かした上で「これ言うと、たぶん炎上するなって承知の上で炎上させている部分もありますし、なんで、これで、こんな騒ぎになっちゃったんだろう、ちゃんと最初から最後まで聞いてくれたら、こんなことにならないのになと思うこともあります。ただ、良きにつけ悪しきにつけ、そうやって話題になるのはいいことだと思ってます。これからも、どんどん書いていただくなり、たたいていただくなり」と一気に話していた。

 そして月日はたった。3年前、「炎上するなって承知の上で炎上させている部分もあります」と余裕の表情で話していた小倉氏が今、ネット上での自分に関する書き込みを「キツいものなんですよ」と、つぶやいて“退場”していく。

 今回の勇退劇に新型コロナ禍で広告収入が激減した長年のタッグパートナー・フジへの配慮もあると、私は思う。昨年9月には安藤優子氏(62)がキャスターを務めた「直撃LIVEグッディ!」を終了させるなど、高額ギャラの大物司会者も次々と契約終了せざるを得ない懐事情は民放各局ともに変わらない。そんな裏事情は小倉氏なら、すべてお見通しだったと思う。

 テレビ画面上で「私はそろそろいいのかなって」と話す名司会者の表情は確かに3年分、老けて見えた。淡々と番組終了を伝える小倉氏の姿に、私は時間の流れの速さとテレビ局の苦境の深刻さ、さらに自分自身も日々携わっているネット情報という、どこか不透明な存在の残酷さを思った。(記者コラム・中村 健吾)

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