天皇杯決勝に出るという事〈2〉…喜熨斗勝史氏コラム「Coach’s EYE」

スポーツ報知
サポーターに天皇杯とJリーグ優勝シャーレ、特製風呂桶などを掲げる川崎Fの選手たち

 国内外のクラブでコーチとして、FW三浦知良のパーソナルコーチとしても経験豊富な喜熨斗(きのし)勝史氏のネット限定コラム「Coach’s EYE」。第11回のテーマは「天皇杯決勝に出るということ〈2〉」。

 1月1日の元日に行われる天皇杯の決勝。前回のコラムでは、その決勝戦に参加するのが、いかに大変なのかを紹介した。そこで今回は、もう少し、その詳細を準決勝からの流れの中で紹介しよう。天皇杯決勝に出場する素晴らしい体験を、アフターコロナを願って、シミュレーションして楽しんで頂きたい。(今年はコロナ禍の開催だったが、今回のコラムは、あくまで通常開催の場合、ということでご了承ください)

▽準決勝のあと

 まずは、フィジカル面。準決勝に勝つと、いよいよ元日にプレーする権利が得られる。得られるといっても、選手にとっては、けがやカードの累積がないことが条件だ。今回もG大阪の宮本監督は、準決勝の前に、宇佐美、小野瀬、井手口選手らの怪我の状況に関して、危惧する発言をしている。シーズンの終盤には疲労も蓄積し、けがを抱える選手も多い。コンディションを整えてベストの布陣で戦えるかどうかも、チーム力の一部なのだ。決勝に出場するためには、年間40試合以上戦った後でも、タフに戦えるフィジカルキャパシティーが求められるということだ。

 そして、メンタル面。準決勝に勝てば、12月31日まで練習があるので、のんびりクリスマスを楽しんだり、年賀状を書いたりする暇や余裕はなかなか見つからない。国内で稼働しているチームは、日本で2つしかないので、当然、マスコミや世間の注目を浴びる。決勝進出のお祝いメールや電話はしばらく続くし、思いもよらない友人からチケット確保のお願いが来る。また「次の試合に勝ったらボーナス倍増」などと言ううわさが飛び交ったりして、徐々に選手やスタッフたちの平常心を乱していく。浮かれた気持ちを抑えなければいけないことは分かっているが、どうしても新人選手などは、ガチガチになってしまうことが多い。これこそが、決勝に出場したことのある選手やスタッフのみが感じることのできる、至福の葛藤なのだ。「プレッシャーを楽しむ」よく聞く言葉だが、まさにその能力が必要なのである。

▽12月31日

 一般的には、家族と紅白歌合戦を見たり、深夜に初詣に出かけたりと、ファミリーイベントが目白押しな大みそかだが、決勝に出場するチームは前泊でホテルに入る。繁華街のホテルに泊まってしまうと、年越しのお祭り騒ぎが選手の睡眠や試合に向けての集中の妨げとなるので、オフィス街の比較的静かなところに泊まるのが一般的だ。夕食後「よいお年を」と言って各自が部屋に戻ると、ほどなく除夜の鐘が聞こえてくる。高まる想いを抑えてくれるかのように響く、108回の鐘の音を、試合の準備をしながら聞くことができるのも、決勝に出場するチームの特権だ。サッカー人として、こんなシチュエーションで除夜の鐘を聞きながら、電話で家族に告げる「明けましておめでとう」は、人生最高の年始の一言になること間違いなしである。

▽元日の朝

 テレビやホテルロビーは、朝からお正月気分満載だが、チームは通常の戦闘モードに入らなければならない。選手は、試合開始時間(14時前後)のだいたい3時間半前にスポーツ食を摂る必要があるので、ちょっと遅い朝食のようになってしまう。日本人として、新年の初めはおせち料理を頂きたいところだが、試合に必要なのは、だし巻き卵やかまぼこではなく、パスタやうどんなどの良質の炭水化物。戦いから逆算した準備をしなくてはならない。お正月気分は楽しめず、堅苦しい試合前のルーティンを繰り返さなければならないのだ。しかし、それでも、日本にはお正月の文化がある。グランパス時代の話だが、監督と栄養士の粋な計らいで、お餅の入ったお汁粉が振舞われた。ストイコビッチ監督も「おいしいね」と言ってお正月の日本文化を楽しんでいたのを覚えている。選手、スタッフの緊張が和らいで、モチベーションが上がったのを覚えている。

▽バス移動

 チームバスでホテルを出て国立競技場に近づくと、破魔矢を抱えた着物姿の女性が目に入ってくる。明治神宮への初詣であろうか、艶やかな着物が決勝戦に向かうチームバスに花を添える。そして競技場のエントランス横は、当日券を求めるサポーターで、すでに長蛇の列。チームを応援するサポーターに加えて、新年のキックオフをサッカー観戦で迎えようという、まさにサッカーフリークの方々だ。寒い中、並びながら満面の笑みで手を振るサポーターや日本中のサッカーフリークにとっても、年始めの試合として満足できるよう試合をしなければいけない。これも決勝戦に出場するチームに課せられた責務だということを痛感する瞬間である。

▽VIP

 日本では、1月1日に行われる公式戦は天皇杯の決勝のみ。当然、この日本一を決める戦いは、多くのVIPに見守られている。会場には黒塗りの車や実況用のパラボラを屋根に備えた車が何台も並び、ただならぬ雰囲気を醸し出す。サッカー協会の会長や技術委員長。有名なアナウンサーや輝かしい実績を残した日本サッカー界のレジェンドの数々。そして、極めつけは皇室関係者のご出席だ。これには当然、警備も厳重になる。このように、テレビでしか見たことのない、サッカー界のVIPが集まるのもこの試合の特徴。しかし、だからと言って人の目を意識しすぎて緊張したり、評価されるためにプレーしたりしてしまっては、本末転倒。サッカーというスポーツは、自分たちのプレーやスタイルに集中し、自分たちのサッカーをするのが、戦いの基本。どんなにプレッシャーがかかっても、自分のプレーに集中することが大事だ。天皇杯決勝とは、ここまで来た自分たちを信じて、こんな特別な雰囲気にものまれず、最高の「平常心」を維持することが求められる試合なのである。

▽日本一になるには

 こんな日本最高の環境で戦うことができるのが、天皇杯の決勝。この戦いに参加することは、サッカー人として、一生の思い出になる。しかし、参加するだけなのと、勝って日本一になるのとでは、その差は歴然。残念ながら、私は二度、決勝を戦っているが、二度とも勝ててはいない。なので、この先、日本一になったらどんなことが待っているのかを、ここに書くことはできない。ただ言えることは、やはり「2番じゃダメなんです」というあの言葉だ。私は、日本のサッカー人として、まだまだ、努力が足りないということを痛感した。グラスルーツから参加できるこの大会は、参加する全員に優勝するチャンスがある、そんな夢のある開かれた大会なのである。あの、断トツの強さを見せた川崎を倒すべく、努力することが日本サッカーの発展につながる。あなたが、夢を持つサッカー人なら、今後、天皇杯で優勝する可能性はゼロではないのだから。

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