眼光ギラリ、筋肉バキバキ、髪ツンツン。
その見た目と、闘志むき出しで相手の攻撃をつぶすプレースタイルどおり。鹿島に入団したばかりの植田直通は、武骨で、寡黙で、硬派な印象だった。インタビューをしても、太く短い答えばかりが返ってくる。唯一、西野カナの歌詞の素晴らしさについて語るときのみ、饒舌だった。
24歳になった今も、鋭いまなざし、ワイルドな髪型は変わらない。肉体はむしろ厚みを増した。ただ、取材中に発するオーラは、明らかに柔らかくなった。お気に入りのアーティストは、Little Glee Monsterになった。
「試合中のオーラまで柔らかくなっていたら、嫌ですけどね(笑)。もともと人見知りで、取材で話すのも嫌だったんです。それが、鹿島での5、6年目くらいからなくなりました。なんか、人と話すのが楽しくなったんですよね」
昨年7月、ベルギーへ渡った。初の海外移籍となれば、サッカー以外でのトラブルやハプニングも「数え切れないほど」ある。そんな日々を語る際も、本人はどこか楽しそうだ。
「あっちに行って、焦ることはなくなりました。“なんとかなるだろ精神”ですね。レストランで、頼んだメニューと違うものが出されたとしても、『しゃあないな。食べてみて美味しければ発見だ』って考える。ブルージュの街は綺麗で、人も良くて、過ごしやすいんですよ。
だから本来はインドア派の僕も、できるだけ外に出るようにしています。鹿島時代は、やっぱり顔でバレてしまうので、スーパーで買い物中にかごの中を見られて『植田、今日の夕食はカレーか』なんて思われてたはずですけど(笑)。ベルギーでは、僕に気づく人もいませんからね」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190612-00839632-number-socc
その見た目と、闘志むき出しで相手の攻撃をつぶすプレースタイルどおり。鹿島に入団したばかりの植田直通は、武骨で、寡黙で、硬派な印象だった。インタビューをしても、太く短い答えばかりが返ってくる。唯一、西野カナの歌詞の素晴らしさについて語るときのみ、饒舌だった。
24歳になった今も、鋭いまなざし、ワイルドな髪型は変わらない。肉体はむしろ厚みを増した。ただ、取材中に発するオーラは、明らかに柔らかくなった。お気に入りのアーティストは、Little Glee Monsterになった。
「試合中のオーラまで柔らかくなっていたら、嫌ですけどね(笑)。もともと人見知りで、取材で話すのも嫌だったんです。それが、鹿島での5、6年目くらいからなくなりました。なんか、人と話すのが楽しくなったんですよね」
昨年7月、ベルギーへ渡った。初の海外移籍となれば、サッカー以外でのトラブルやハプニングも「数え切れないほど」ある。そんな日々を語る際も、本人はどこか楽しそうだ。
「あっちに行って、焦ることはなくなりました。“なんとかなるだろ精神”ですね。レストランで、頼んだメニューと違うものが出されたとしても、『しゃあないな。食べてみて美味しければ発見だ』って考える。ブルージュの街は綺麗で、人も良くて、過ごしやすいんですよ。
だから本来はインドア派の僕も、できるだけ外に出るようにしています。鹿島時代は、やっぱり顔でバレてしまうので、スーパーで買い物中にかごの中を見られて『植田、今日の夕食はカレーか』なんて思われてたはずですけど(笑)。ベルギーでは、僕に気づく人もいませんからね」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190612-00839632-number-socc
「もっと語学を上達させたい」
ピッチの中でも、よくしゃべっている。試合中は、よく怒鳴っている。最終ラインから、まだ不慣れな英語とフランス語を駆使して、叫ぶ。
「例えばリスクマネジメントのところ。うちのチームは攻めるときはセンターバック以外全員が前に行ってしまい、カウンターを食らって失点という場面がすごく多かった。だから、ボランチの1人は後ろに残るとか、ボールを失ったときのためのバランスだとかは、すごく言いました。
ただ、むこうの選手はなかなか言うことを聞きませんからね。言えば反発してくるし、ミスを人のせいにする選手も多い。終盤になってようやく改善されてきましたけど、そういう選手たちに、こういう理由があるから『こうしてくれ』『こうしたほうがいい』と、細かなところまで説明できるように、もっと語学を上達させたいですね」
今季のセルクル・ブルージュは、リーグ戦16チーム中13位で、なんとか1部に残留した。高校サッカーの名門・大津高校、Jリーグの常勝軍団・鹿島でプレーしてきた植田にとっては、新鮮な経験だった。
「押し込まれっぱなしの試合だったり、連敗が続く悔しい状況自体をあまり経験したことがなかったので、衝撃でした。この先、日本代表でもチームとして押し込まれる試合というのは、あるはず。そのときのためにも、良い経験だとポジティブに考えています」
プロになって初めて「負け」を積み重ねる中で、試合後のチームメイトに怒りを覚えたこともある。
「負けてもヘラヘラしている選手を見たときは、本当に腹が立ちました。鹿島では、1敗でもすれば誰もしゃべらない雰囲気でしたから。彼らの頭には、チームの勝ち負けではなく、自分自身のステップアップしかない。僕はそれではダメだと思うけど、世界にはいろんな考え方の選手がいるものなんだと、痛感しました」
「例えばリスクマネジメントのところ。うちのチームは攻めるときはセンターバック以外全員が前に行ってしまい、カウンターを食らって失点という場面がすごく多かった。だから、ボランチの1人は後ろに残るとか、ボールを失ったときのためのバランスだとかは、すごく言いました。
ただ、むこうの選手はなかなか言うことを聞きませんからね。言えば反発してくるし、ミスを人のせいにする選手も多い。終盤になってようやく改善されてきましたけど、そういう選手たちに、こういう理由があるから『こうしてくれ』『こうしたほうがいい』と、細かなところまで説明できるように、もっと語学を上達させたいですね」
今季のセルクル・ブルージュは、リーグ戦16チーム中13位で、なんとか1部に残留した。高校サッカーの名門・大津高校、Jリーグの常勝軍団・鹿島でプレーしてきた植田にとっては、新鮮な経験だった。
「押し込まれっぱなしの試合だったり、連敗が続く悔しい状況自体をあまり経験したことがなかったので、衝撃でした。この先、日本代表でもチームとして押し込まれる試合というのは、あるはず。そのときのためにも、良い経験だとポジティブに考えています」
プロになって初めて「負け」を積み重ねる中で、試合後のチームメイトに怒りを覚えたこともある。
「負けてもヘラヘラしている選手を見たときは、本当に腹が立ちました。鹿島では、1敗でもすれば誰もしゃべらない雰囲気でしたから。彼らの頭には、チームの勝ち負けではなく、自分自身のステップアップしかない。僕はそれではダメだと思うけど、世界にはいろんな考え方の選手がいるものなんだと、痛感しました」
自宅で観戦したアジアカップ
今年2月1日、自宅のテレビの前で味わった悔しさと無力感は忘れられない。画面には、アジアカップ決勝で敗れ、肩を落とす日本代表選手たちが映し出されていた。
「知っている選手もたくさんいますし、代表のサポーターの1人として応援していました。ただ、やっぱり悔しかったですね。なんで自分がそこにいないんだろうという思いはありましたし、自分が日本のために何も出来ていないことがすごく悔しかった」
悔しいときこそ、焦って何かを変えるのではなく、「自分がやってきたことを信じて、貫く」のが、植田直通の流儀だ。リーグ戦終盤からは先発を外れる試合も続いたが、下位プレーオフでは再びスタメンを奪取。4月6日のムスクロン戦では豪快なヘディングで、欧州での初ゴールも決めた。
そんな彼に、吉報が届く。コパ・アメリカに臨む日本代表に招集された。
「ここでチャンスが来たか、ここで結果を残すしかないなと思いましたね。年代別代表も含めて、今までのサッカー人生でこれだけ代表から離れたことはなかったので。でも、クラブでしっかりとやり続けていれば、必ず呼ばれると信じていました。だからこそ、今回の代表にかける気持ちは強いです。
コパ・アメリカは南米のすごいメンバーが、本気で臨んでくる。親善試合とは、気持ちが違いますから。本気のアレクシス・サンチェス(チリ)、スアレス、カバーニ(ともにウルグアイ)と闘える。最高ですよね。この経験は、絶対に大事にしないといけない。
国際大会って、うまいだけじゃ絶対に勝てないと、僕は考えています。泥臭さであったり、強さを出すのが僕の役割。そういう選手が必要だと示したいですし、日本のみなさんも僕がバチバチ闘う姿を期待していると思います。相手が有名選手だからと言ってリスペクトしすぎることなく、ゴールを守るために何でもやりたいですね」
日本代表のメンバーリストは、ポジション別に、年齢順に名前が記される。今回のコパ・アメリカのリストには、「DF」欄の一番上に、植田の名前がある。
「あれを見て、ちょっと悲しくなりましたよ(苦笑)。もう24歳か、もうこんなに下が入ってきたかって。鹿島に入ったころに思い描いた24歳像とは、かけ離れている。もっと早くステップアップしたいという焦りは、確かにあります。
でも、今回のコパ・アメリカはもっと上に行くためにも、分岐点になると思います。DFでは最年長で、これまで得てきた経験を示さないといけない。自分がチームを引っ張っていかないといけないという使命感は、強く持っています」
「知っている選手もたくさんいますし、代表のサポーターの1人として応援していました。ただ、やっぱり悔しかったですね。なんで自分がそこにいないんだろうという思いはありましたし、自分が日本のために何も出来ていないことがすごく悔しかった」
悔しいときこそ、焦って何かを変えるのではなく、「自分がやってきたことを信じて、貫く」のが、植田直通の流儀だ。リーグ戦終盤からは先発を外れる試合も続いたが、下位プレーオフでは再びスタメンを奪取。4月6日のムスクロン戦では豪快なヘディングで、欧州での初ゴールも決めた。
そんな彼に、吉報が届く。コパ・アメリカに臨む日本代表に招集された。
「ここでチャンスが来たか、ここで結果を残すしかないなと思いましたね。年代別代表も含めて、今までのサッカー人生でこれだけ代表から離れたことはなかったので。でも、クラブでしっかりとやり続けていれば、必ず呼ばれると信じていました。だからこそ、今回の代表にかける気持ちは強いです。
コパ・アメリカは南米のすごいメンバーが、本気で臨んでくる。親善試合とは、気持ちが違いますから。本気のアレクシス・サンチェス(チリ)、スアレス、カバーニ(ともにウルグアイ)と闘える。最高ですよね。この経験は、絶対に大事にしないといけない。
国際大会って、うまいだけじゃ絶対に勝てないと、僕は考えています。泥臭さであったり、強さを出すのが僕の役割。そういう選手が必要だと示したいですし、日本のみなさんも僕がバチバチ闘う姿を期待していると思います。相手が有名選手だからと言ってリスペクトしすぎることなく、ゴールを守るために何でもやりたいですね」
日本代表のメンバーリストは、ポジション別に、年齢順に名前が記される。今回のコパ・アメリカのリストには、「DF」欄の一番上に、植田の名前がある。
「あれを見て、ちょっと悲しくなりましたよ(苦笑)。もう24歳か、もうこんなに下が入ってきたかって。鹿島に入ったころに思い描いた24歳像とは、かけ離れている。もっと早くステップアップしたいという焦りは、確かにあります。
でも、今回のコパ・アメリカはもっと上に行くためにも、分岐点になると思います。DFでは最年長で、これまで得てきた経験を示さないといけない。自分がチームを引っ張っていかないといけないという使命感は、強く持っています」